私が覚えている限りで一番古いのは菅直人議員が衆議院をやっていた時代からだ。その当時、民主党、というかその前の政党のときからだろうけど、非自民の票が圧倒的に強い地盤だったと記憶している。
特に市民からの支持が強かったのは、菅直人氏の厚生労働大臣時代の薬害エイズ関連の対応に関する業績だったと思う。厚生労働省の役人が、非加熱製剤の危険性を認識しながら、その証拠となる資料を隠していたのに対して、菅直人氏が何度も調査を命じ、ついに証拠がでてきたのだ。
この業績により、当時の浮動票が半固定票のように、長らく菅直人氏の票になっていたものと思われる。
で、当時自民党はというと、若い候補が毎回出ては大差で負けていたかと。「何かが違う」というキャッチコピーの妙にイケメンの自民党候補のポスターを見ながら、「いや、何かが違うのはそのポスターの方だろ」と思いながら通り過ぎていったのを覚えている。
で、あるとき、自民党の候補として、鳩山邦夫氏が小金井の選挙区にやってきた。党の重役として、地元をあまり回れない菅直人氏に対して、ドブ板の握手戦術で対抗する鳩山氏だったが、人々の意識から管直人氏の薬害エイズの功績は消えておらず、また、落下傘でやってきたよそ者風情が付け焼き刃の握手作戦なんかやっても状況は変わるはずもなく、一度も鳩山氏は勝つことができないまま姿を消した。
さて、時は経ち、民主党政権になって、ガソリン値下げ、高速道路無料などの甘い言葉の公約はほとんどが守られることのないまま、外交でも尖閣問題等、失政が続き、支持率はどんどん落ちていった。
3.11の東日本大震災では、首相という一国のリーダーであった菅直人氏が現場に介入し、福島原発事故の現場に混乱をもたらしたとのことで、民主党のみならず、菅直人氏の支持も急落していた。
人々による薬害エイズの功績の記憶は、福島原発事故の混乱を招いた戦犯の一人として、また不景気と円高により企業がバンバン潰れた民主党政治の戦犯の一人としての記憶で上書かれてしまうことになった。
一方自民党に関しては、衆議院選の候補に、武蔵野市長を長らく務めた土屋正忠氏を擁立していた。地盤もあり、政治実績もある。民主党政権前には盤石な管氏の前に何度か破れていたものの、民主党の失政後の選挙では、初めて小選挙区で管氏を破った。
という今までの経緯があって、2014年の衆議院選挙を迎えることになる。はっきり書いてしまうと、今回の選挙で土屋氏が勝つのは誰が見ても明らかであろう。ここから言えることは、どんなに盤石に見える地盤であっても、党の実績・評判や個人の実績・評判によってあっけなく崩れてしまうということだ。
正直小金井でこの状況が発生するとは10年前、20年前には誰も想像できなかったのではなかろうか? という、諸行無常の歴史を書き留めておきたかったので、ちょっと書いてみた。